昭和人間の筆者には「のわき(のわけ)」という古風で気取った言葉は使えませんが、かといって、言いなれた台風には、タイフーンという英訳があるので、これをアメリカで会話にしゃべっても通用しませんでした。
さらに南アジアに行くと、暴風雨はサイクロンと言わないと通じないことも体験しました。
野分とは、台風の正体・熱帯性低気圧の渦巻も知らなかった昔の人々が、二百十日、二百二十日前後に、猛烈な暴風雨が襲って来て、野の草を吹き分ける表現だと言われておりますが、源氏物語や枕草子にも見かけられるので、古代からの標準語(大和言葉)だったようです。
高浜虚子の「大いなるものが過ぎ行く野分かな」の名句が、「野分」の雰囲気を見事に表現されており、「台風」の語より歴史を感じさせ、遥かに奥行きのある季語であることに気づかされます。
吹き飛ばす石は浅間の野分かな 松尾芭蕉
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな 与謝蕪村
鷲の子や野分にふとる有磯海 向井去来
猪もともに吹かるる野分かな 松尾芭蕉
一番に案山子をこかす野分かな 森川許六
序でに、台風の語源ですが「タイフーン」とは、アラビア語の「クルクル回る」の意とか、ギリシャ語の「風の神」とか、中国語の「大風」「台湾近海の強風」とか諸説あり、北太平洋西部乃至南シナ海に発生します。
ハリケーンは、カリブ海、メキシコ湾、北大西洋西部、北太平洋東部に発生し、サイクロンは、インド洋、南太平洋に発生するので、夫々地域性を帯びた言葉が用いられているようです。
颱風の浪見て墨を磨りにけり 山口誓子
颱風の去って玄界灘の月 中村吉右衛門
颱風の心支ふべき灯を点ず 加藤楸邨
世界を飛び回ってビジネスをして来た体験から、もう一点気づいた点を付記しておきますと、欧州大陸西部の伝統諸国(伊西仏独蘭など)には、タイフーンやハリケーン・サイクロンに類する言葉がないようです。
「西欧人は自然を意のままにしようとするが、東洋人は自然に帰し、従おうとする」と言われますが、ひょっとして、季節ごとに毎年暴風に襲われることが無い欧州民族の”自然に対する態度の違い“の重大因子を成しているのは、この事象に由来しているのではなかろうか、と思う次第です。





